世界各国の酒造りの歴史に共通していることは、その民族の主食と密接な関係にあるということです。
主食である、ということは、様々な加工方法が試行錯誤されていきます。その過程で偶然酒が精製されることが多いからなのです。
また、その主食はその地域における気候風土に大きく影響されることからも、その国の文化を考える上でも重要なテーマでもあります。
では、わたしたち日本の酒はどのようにしてできあがったのでしょうか。
「日本酒の起源」
果実酒
日本酒の原料は主に、水と米です。従って、当然歴史的に遡っても、稲作が伝わってきて以降になります。
稲作伝来の時期は諸説ありますが、だいたい、縄文後期から弥生前期とされており、紀元前3世紀頃にあたります。
しかし、それ以前、縄文中期(紀元前4000年から3000年)には酒を造り、それを飲んでいたことを示す遺跡が発見されています。
当時の主だった食べ物は、キイチゴやヤマブドウなどの果物ですが、それを貯えるためにまず原始的な器が造られました。これら当時の人にとって貴重な糖質を多く含んでいる果
実は、容器に入れておくと、果皮に付着している多数の野生酵母の働きでアルコール発酵が起こり、原始的な果
実酒が自然にできあがるのです。
最初は偶然にできたこの果実酒をおそるおそる飲んでいたものが、それを人為的に加工するようになり、現在では「有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)」と呼ばれている物は、酒の仕込みに使っていたと考えられています。
口噛み酒」について
酒の起源といわれているものは、「口噛み酒」とよばれています。
口噛みの酒は、東アジア一帯や東南アジア、南太平洋地域から中南米にかけて広範囲にわたって太古から分布しており、沖縄では明治時代まで祭事用の酒造りとして伝承されていたものです。
中期縄文人は、クリ・ドングリ・クルミなどの堅実類や、カタクリ・ヤマノイモ・ユリの根などの根茎類、アワ・ヒエなどの雑穀類などといった、デンプン類の食物を食べていたと推定されています。
このようなデンプン類をゆっくり噛んでいると、唾液中の糖化酵素(アミラーゼ)によってデンプンが分解され、ブドウ糖ができて甘くなります。
甘くなったデンプン類の食物を、容器に吐き溜めておくと、空気中に浮遊している野生酵母が落下してきて、アルコール発酵を引き起こして酒になります。
これが、「口噛み酒」と呼ばれているものです。
米を噛んで造るという酒についての文献上の初見は奈良時代初期の「大隅国風土記」で、「古事記」にも書かれています。
米で作る酒の起源
日本酒の特色は麹による酒造りです。
麹菌は、空気中に浮遊していたり、稲藁などに付着していますが、煮た米や蒸した米に漂着すると、そこで胞子を出芽させて菌糸を造り、さらに多くの胞子を着生させながら増殖していきます。
その中で、麹菌は、酵素とくにアミラーゼを多量に生産し、それを体外に分泌して米麹内に残すから、米のデンプンは糖化されてブドウ糖に変わります。
このようなメカニズムを利用すれば、重労働である「口噛み」の作業から解放されるのです。
しかも、造れる酒の量も増加すれば、質も向上します。まさに画期的な発見だったのです。
ですが、このような米と麹で作る日本酒の原型の麹酒がいつ頃登場したのかは、正確なところはわかっていません。「魏志倭人伝」の記述によるとこの時代(3世紀頃)にはかなり、酒が普及していたようですが、飲まれていたのがどんな種類の酒であるのかについては書かれていません。
米麹を用いた酒造りについての記述が見られる最も古い文献は「播磨国風土記」で、神様に供えた米飯が濡れてカビが生えたので、それで酒を醸し、神様に献上して酒宴を行ったという意味が記述が見えます。
酒を醸したということは、米飯に生えたカビとは、まさに麹カビのことです。
この記述からは、果たしていつ頃から麹酒が造られるようなったのかまでは特定できません。
しかし、当時の米飯の調理法から考えれば、麹の発見はもっと早かったのではないか、と思われます。
というのも、当時の人は、いまのように水と一緒に炊くのではなく、甑(こしき)と呼ばれる蒸し器で蒸した強飯として食べていました。この甑は縄文時代晩期後半あたりの遺跡からも出土していて、稲作が広く伝播した弥生時代前期には甑の使用は珍しくなかったのです。
このように甑で蒸した強飯が、なぜ、麹酒の誕生に重要な意味を持っているかというと、蒸した米の水分含有量
と麹カビの繁殖に最も適した水分活性領域が35%から40%と一致するからなのです。
炊いた米では水分が多すぎ、焼いた米では少なすぎるのです。蒸した米で作った餅にすぐカビが生えるのもこのように理由からです。
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